宮田満のJLABSレポート

「病のない未来」アイディアピッチコンテストの審査員をつとめる宮田満が
Johnson & Johnson Innovation - JLABS サウスサンフランシスコを取材しました。

宮田満 東京大学理学系大学院植物学修士課程修了、日経メディカル編集部を経て日経バイオテク編集長、
医療局ニュースセンター長、先端技術情報センター長,医療局バイオセンター長を歴任。
平成24年6月から令和2年6月まで特命編集委員。平成27年7月には株式会社 宮田総研を設立し、
バイオテクノロジー部門等で現在も大活躍中。
株式会社宮田総研 代表取締役、株式会社ヘルスケア・イノベーション 代表取締役社長
慶應義塾大学先端生命科学研究所 客員教授、鳥取大学人工染色体センター 客員教授

サンフランシスコの中心であるユニオンスクエアからタクシーで30分。背後に青い海がきらめく美しい場所にJLABS@サウス・サンフランシスコ(SSF)はあった。こここそ今、世界が注目する生命科学のイノベーションが次々と生まれる場所である。
 昨年9月27日、東京インターシティで「病のない未来」アイデアピッチコンテスト2019が開催された。優秀賞を獲得した筑波大学と東京理科大学の2チーム合計4人の大学院生が、米国の東海岸と西海岸にあるJLABSを訪れるツアーに招待された。主催者の一翼を担う世界的な総合ヘルスケア企業であるジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)社の製薬部門、ヤンセンファーマが支援した。元気な学生達のツアーに同乗して私も初めてJLABSを訪れた。

 建物は典型的な米国のベンチャー企業向けの大きなビルだが、3階にあるJLABS @ SSF中に入ってびっくり。原色に満ちた極めてスタイリッシュな内装だ。まるで流行のカフェのよう。入り口から入ったスペースはサンフランシスコ湾を見渡せる談話室やバーカウンターがある。大胆でアートに溢れる環境だ。さりげなくテーブルの上には、クイックファイア・チャレンジ(QFC、後述する)やイベントの案内がある。この他、いたるところに設置されたテレビ画面にも、入居企業の案内やイベントの案内がどんどん流される。自分たちが生命科学のイノベーションの渦に巻き込まれた感覚だ。とても、ここでは孤独を楽しむことなどできない。入居しているベンチャー企業の社員達が、そこここで一塊となって談笑している。きっと何かが始まるに違いない。

 ガラスで仕切られた会議室で迎えてくれたのは、JLABS @ SSFのイノベーション・アクチベーション・マネージャーのジェームス・ビオラさんと同スペシャリストのロアン・ラバニロさんだ。いかにも人好きで元気一杯の二人を含めた6人のスタッフがJ&Jから派遣されている。

 この他、入居企業からの3人も加わり、30社以上の入居企業で働く180人のイノベーターのお世話をしている。3階のフロワー3万平方フィートが、全部バイオベンチャーで埋まっており、入居待ちリストに多数の企業名が載っているほどだ。あくまでも科学ベースで、J&J社の幹部や専門家が加わった評価委員会で選考する。
 しかし、単なるバイオのインキュベーター(創業早々のベンチャー企業の育成施設)なら世界中にある。「他のインキュベーターとの違いは、マインドセットの違いだ」とビオラさんは開口一番切り出した。ICTなどの技術ベースのベンチャーとバイオベンチャーは、製品化するまでの時間とコストの負担が全く異なる。ICTベンチャーはアイデア一つで資金を調達、数年を待たずに商品化、株式公開や企業売却などが可能だ。従って、エレクトロニクスやICTなど今までのベンチャー企業のインキュベーターは、場所の提供が中心だった。しかし、生命科学ではそうはいかない。JLABSではあえて、生命科学の基礎研究から前臨床試験までを中心に粘り強くあらゆる支援をするというのだ。「なるべく軽い負担で迅速にバイオベンチャーを立ち上げ、成長する支援をする」(ビオラさん)。

 しかも、最先端の実験器機は協力企業との交渉で、デモンストレーションラボとして積極的に導入、その総てを入居企業は廉価に利用できる。つまり、大学の研究者が思いついたアイデアを確かめることが負担すくなく簡単にできるのだ。JLABS @ SSFには本当にそのアイデアが実験で実証できるか?というPOC (Proof Of Concept概念の証明)を取るための共有コンセプトラボがある。1台のベンチの上で楽しそうに実験する研究者の姿があった。「POCが取れれば、SSFの周辺にはベンチャー・キャピタルも多いので、次の企業の成長に必要な資金調達ができる」とビオラさん。JLABS @ SSFではベンチャー・キャピタルと入居企業が面談を行うイベントも頻繁に開催されている。資金調達をした企業は、成長とともにJLABSを卒業してゆく。

 こうした急成長を可能にするのが、JLABSのもう一つの、そして他にはない特徴である大企業のベネフィットをベンチャー企業に提供するサービスだ。驚いたのは、全世界のJ&Jグループの幹部達が自主的に登録してJLABSの入居者にメンタリングするJPALSプログラムが提供されていることだ。科学には長けている研究者も事業化戦略立案や提携先との交渉、人事管理などベンチャー企業運営には悩みが尽きない。そんな時、JPAL登録者の中から相談相手を見つけることができる。何とも安心なシステムだ。加えて、入居者には教育プログラムも提供される。ヘルスケア産業や事業化に必要な安全確やコンプライアンスなど、大学では学ぶことが出来ない知識やネットワークを形成できる。こうして科学者がアントレプレナー(企業家)へと変貌していくのだ。勿論、ゲーツ財団や米国国立医薬品食品衛生研究所など多数の生命科学関連機関とのネットワークも、J&J社が後ろ盾となっているJLABSのブランドが引き寄せることも忘れてはならないだろう。

 JLABSの施設はJ&J社が整備する。最近設立したJLABSは、地元の研究機関や自治体、企業などの支援を得て運営するようになった。しかし、入居するベンチャーの株式も取得しないし、優先交渉権もJ&J社は要求しない。もしJLABSの入居者の技術や製品に興味がある会社があれば、直接交渉することが可能だ。では一体同社の目的は何なのか?ビオラさんは躊躇なく「解決策ない医療・健康ニーズに対する斬新な科学的アイデアと才能を知ることが目的だ」と答えた。今や急速な生命科学の発展によって、J&J社の研究投資の多くは社外の研究機関や企業に向けられている。社外で一体どんな技術革新が生命科学の分野で起こっているのか?最先端のアイデアにいち早くアクセスできるかどうかが、新薬や医療機器の開発の成否を握るようになった。まさに、オープンイノベーションは不可避なのだ。

JLABSの歴史社内ラボから社外での独立ラボへ、そして世界へ

2012年1月
JLABS @ サンディエゴ開設(当初はヤンセンラボとして開設)
ヤンセン・ウエストコースト研究センター内
2013年1月
JPOD @ ボストン(当初はヤンセンラボとして開設)
2015年3月
JLABS @ サウス・サンフランシスコ開設
初のJ&Jグループ社外での独立ラボとして設置
2016年3月
JLABS @ TMC開設
連携:テキサス医療センター
2016年5月
JLABS @ トロント開設
連携;トロント州政府、トロント大学など
2018年2月
JLABS @ BE(ベルギー)に改編
連携;JLINXインキュベーター
2018年6月
JLABS @ ニューヨーク開設
連携:ニューヨーク州、ニューヨークゲノムセンター
2018年7月
JPOD @ フィラデルフィア開設
連携:ペンシルベニア大学
2019年4月
JLABS @ ワシントンDC開設
連携;国立小児健康システム
2019年7月
JLABS @ 上海開設(17年12月に計画発表)
連携;上海市、上海ファーマエンジン社

 しかし、どうしたら最先端のアイデアを持続的に知ることができるのか?その一つの回答がJLABSだったのだ。実はこれこそが、現在、全世界のビッグファーマが追求し、必ずしも上手くは行っていないオープンイノベーションの成功の鍵なのかも知れない。JLABSの前身は、ヤンセンがサンディエゴに2012年に設立したヤンセンラボであった。同社の研究所内に設置した、外部研究者や企業が入居するオープンラボである。2015年にJLABS @ SSFは創設された。ヤンセンの社外に設置され、極めて高い独立性を与えた最初のオープンラボである。まさに現在のJLABSのビジネスモデルが誕生したのだ。今や米国に6カ所、カナダに1カ所、そして2019年には中国上海にJLABSを開設した。加えて、JPODと名付けた企業内研究所に設けられたJLABSが2カ所、関連インキュベーター3つも含めると全世界で13カ所のJLABSが稼働するまでに拡大。オープンイノベーションの成功例として注目を浴びている。わが国でもいくつかの組織がJLABSの誘致に興味を持っている。
 勿論、J&J社が知りたいアイデアや才能を吸引する仕組みもある。QFC (Quick Fire Challenge)である。JLABSがテーマを挙げて、これを解決するアイデアを競うコンペである。商品は10万ドルから25万ドルの研究費。加えて、JLABSへの入居権も与えられる場合がある。現在までに84社がQFCで優勝して入居している。薬剤耐性結核を克服するアイデアなど2件が、現在募集中である。40年振りに結核治療薬を商品化したヤンセンが渇望するテーマでもある。地域と共同して行うQFCもある。JLABSを新設する地域を選定したり、アクセスが必要となる新たなイノベーションシステムを探ったりするためにも、重要なプログラムである。
 13カ所もの拠点は、それぞれ生命科学やヘルスケアの技術突破が起こっている地域に設置されている。あたかもそれぞれの地域のイノベーションのエコシステムにアクセスするハブとしても機能しているのだ。例えばJLABS @ トロントでは、バイオに加えて人工知能研究のベンチャーが入居している。JLAB @ TMC(Texas Medical Center)には、医療器機ベンチャーが集結している。「各JLABSにはそれぞれ特徴がある。でもSSFからでも総てのJLABSのイベントや情報にアクセスができる」(ビオラさん)。JLABSのネットワークが拡大すればするほど、複数の技術や才能の衝突が生むイノベーションの成功確率は高くなる仕組みである。
 「JLABSに来る人材は十分意欲的だから、あえて動機づけする必要もない。実際、大学の教授(テニュア)の職を投げ打って、ベンチャーを創業した人材もいる」(ビオラさん)。こうした目覚めたアントレプレナーが集うJLABSでは、一杯のコーヒーで革新的なアイデアが生まれる。「入居者がそれぞれに発明を尊重し、知財は自ら管理している。今まで技術を盗んだり、知財を巡ってトラブルを起こしたりすることもなかった」とビオラさん。

入居者の内訳

 独自のイノベーションのハブを創り上げたJLABS全体の成績を見てみよう。現在までに654社が入居、295社が卒業していった。入居者の内訳は449社が製薬、133社が医療機器、72社がコンシューマー製品、79社が複数セクターの製品を開発するベンチャーだった。ビオラさんによれば、卒業した企業の90%は、現在もまだ活動しているという。通常、ベンチャーは1割も成功すれば好成績と言われており、JLABSの生存率は際立つ数字だ。

 企業の成長を見ても、JLABS出身の28社の企業が株式を公開し、19社が企業買収されている。戦略的提携による資金調達も含めて、JLABSが育成したベンチャー企業が実に30億300万ドル(1ドル=100円換算で、3003億円上)の資金を集めた。今や創業支援から資金調達まで、JLABSはバイオベンチャー支援のバリューチェーンを形成し始めた。
 カリフォルニアはヒューレットパッカードやアップル、そしてグーグルなどエレクトロニクスやICTベンチャーを生んだ風土だ。しかし、このビジネスモデルは生命科学を基盤としたバイオベンチャーでは上手く機能しなかった。JLABSはベンチャー創業モデルに大企業のリソースとブランドを融合させることによって、世界にまだまだ残る健康や医療での未解決な問題を精力的に解くベンチャー育成を加速しつつある。現在、世界を覆っている新型コロナウイルスのパンデミックで明白になったが、JLABSが果たす役割は今後ますます期待されるようになるだろう。

 同行した学生達は最初は遠慮がちにビオラさんに質問していたが、JLABS @ SSFを体験して心なしか瞳に光りを増したような気がした。ここは若者の気持ちに火を付ける場所でもあるかも知れない。
(宮田総研 宮田満)

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